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いつか日本一・・・願えば叶う

はるか昔、アポロ宇宙船が月面着陸した40年前のことだ。 

ラグビー好きのメンバー数人でクラブチームを創部した。
試合を申し込んで、グランドに行くと10人くらいしか集まらず、相手の余った部員を借りて試合をするという、いつ潰れてもおかしくないチームだった。1969年春・神戸で創部したので六甲山の名をとり「六甲クラブ」としたものの、勝利とは縁遠くひどい状態だった。

でも、夢だけは『いつか日本一』と、デカかった。

部員とはいえ、 ラグビーには縁のない文化部の出身だった私は、帰宅してから毎夜、万国博予定地を走った。 まだ日曜日しか休みの無い時代に、毎土曜の夜、仕事を終え創部の主、K君の家で合宿を繰り返した。

練習以外の時間は、『いつか日本一』と繰り返し夢を話しあって、月日を重ねた。
いく度もの崩壊の危機を乗り越えて、気がつけば神戸で1位、阪神間で1位と緩やかに、彼方の夢へとステップを進めていた。

42歳の秋、東京転勤を機に現役を引退した。 

引退試合は阪神間のクラブチームで混成されたチームと六甲クラブとの試合だった。
私にトライさせ、送り出そうと仲間が企画してくれた試合だったが、いつものように頭から突っ込んでラックの下敷きの私に、トライチャンスは回って来なかった。 みんなの気持ちが痛いほど伝わり、あと数分しか、この仲間とともにプレイ出来る時間が残されていないと思うと、ラストは寂しさと感謝の気持ちで涙があふれてボールも見えなくなっていた。  

ノーサイドの笛の音を聞き、汚れてツギハギだらけで色の抜けた赤いジャージを土の上にそっと置き、引退の挨拶で、それまで何百回も語った『いつか日本一』を語り、仲間に夢を託した。

東京でラグビーのことを忘れて仕事をしている間に、チームは近畿圏でトップ、西日本でトップグループへと異次元へ成長していて、ある日チームの全国大会出場の連絡が入った。
ついに 『日本一』への道が、わずかに開けた瞬間で、OBとしてこんな嬉しいことはなかった。
 

あれから3回・・・最後の日本一から10年ぶり、創部40周年の年に奇しくも4回目のクラブチーム日本一を手にしてくれた。 全国1200チームの頂点だから凄いことだ! 
1969年春にヨロヨロと消えそうに立ち上がったチームの不安に満ちた時代から、『いつか日本一』の夢を持ち続け、願えば叶うと語り続けた仲間と、その実現に取り組んだリーダーと全部員に感謝するOB冥利の年末年始だった。

会社のメンバー、仕入先、OB各位の応援いただいたすべての人に感謝です。 

                   
                      PLUSファニチャーカンパニー&六甲クラブ OB会々長  中嶋光正

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コメント (1)

谷 康弘:

中嶋プレジデント

お疲れ様です。
PLCオフィス環境ソリューション部の谷と申します。

六甲クラブを創立された事始めて知りました。
日本選手権残念でしたが、ナイスゲームだったと思います。

私も高校~大学(鹿屋体育大学)までラグビーをしており、現在も武惑クラブという惑のチームでラグビーを楽しんでます。

仕事もプライベートも
「ワン フォー オール・オールフォー ワン」の精神で頑張っていこうと思います!

いつかお会い出来る日を楽しみにしております。

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中嶋光正(なかじま みつまさ)
プラス株式会社
常務取締役
ファニチャーカンパニープレジデント
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2010年2月26日 09:17に投稿されたエントリーのページです。

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