『肩をはずす・・・。』
ラグビーの試合中に繰り返し組むスクラム・・・。
フォワードは、ファースト・スクラムの瞬間に、相手のレベルをその圧力で理解し、試合の組立てをする。
スクラムが互角の試合なら、バックスの優劣が試合の結果に影響してくる。
フォワードに圧倒的な差がある時、押し込まれる側に苦し紛れで『肩をはずす』者が出る。
『肩をはずす』と本人は楽になれるが・・・・チームのライン全体が押し込まれて後退するから、面の取り合いが目的のラグビーでは、味方を窮地に陥れることになる。
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ラグビーの試合中に繰り返し組むスクラム・・・。
フォワードは、ファースト・スクラムの瞬間に、相手のレベルをその圧力で理解し、試合の組立てをする。
スクラムが互角の試合なら、バックスの優劣が試合の結果に影響してくる。
フォワードに圧倒的な差がある時、押し込まれる側に苦し紛れで『肩をはずす』者が出る。
『肩をはずす』と本人は楽になれるが・・・・チームのライン全体が押し込まれて後退するから、面の取り合いが目的のラグビーでは、味方を窮地に陥れることになる。
笑顔で注文を聞き、「ありがとうございました。どうぞごゆっくり・・」と言って微笑んでくれる人に、僕たちはどんな気持ちを抱くだろう?
久しぶりに大阪に出張し、一人で夕食をとることになった。
行き当りばったりだったが、それなりの店に入った。
力士は、食事に誘われご馳走してもらう機会が多いという。
食事の後の『ごっつあんです・・』には、きっと「ありがとう」の意味もあるのだろうが、
もしも相撲の世界以外だったら・・・食いっぱなしの印象である。
ラグビーの試合前に行われるルーチンがある・・・『アップ』という。
試合前、ストレッチから始まりゆっくりとしたラン&パスなど・・・スピードと気力を、時間をかけて戦闘モードに仕上げていく作業手順のことだ。
最初はバックスとフォワードに別れ、だんだんと強さとスピードを上げて最後は本気でコンタクトして、お互いの調子を皮膚と筋肉を通して確認していく。
身体の当たり具合で調子がわかるから、試合中も、とっさの判断でカバーしたり、サポートしてもらったりが可能になる。
ポジション別の基本練習が終わると、合同で全体の動きの確認をする。凡ミスを防ぎ、パートナーとプレイを確認・浸透させていく時間だ。フォワード・バックス、いくつもあるお互いのサインプレイの確認が終わると、アップは完了しキックオフの笛を待つ。
東京に転居して22年になる。
およそ四半世紀前、関西弁はビジネスでは使用できない言葉に分類されていたようだ。
関西弁で通じたのはバイヤーというポジションだった時代で、営業になるとなんだか警戒されているような妙な抵抗感があって『あんた、関西人でしょーう』などといわれ、ひどく損をしたような経験を何度もしたことがあった・・・22年前だった。
紙の時代からwebへと大きな変化がはじまった・・。
紙の大量消費が成長の証だった20世紀。
その名残はまだ私たちの日常生活に随分残っていて、地球環境を破壊して支えられる消費は、21世紀に入った今も継続されている。
週末の新聞に折り込まれる膨大な広告や、送付されてくる華美な高級品カタログ、
衣料通販のチラシを見ていると、別段買うわけではないが、捨てるのもはばかられ・・・
「もったいないなぁ」と思ってしまう。
朝、会ったとたんの
「おつかれさまでーす!」
に、15年くらい前は一々ギョッとして「疲れて見える?」と反応していたが・・・最近抵抗しなくなった。
諦めたわけではなく、言語文化の変化のせいだと割り切ることにした。
日本語には、時と場合にあわせた美しい挨拶言葉がある。(あった)
朝は お早うございます。
昼は こんにちは。
夜になると こんばんは。
別れ際には さようなら。
今は、全部まとめて 「おつかれさまでーす」・・・?
そういえば、自分だって、年齢と共に挨拶を簡略化していたっけ。
国際的な大企業にいる友人から、「リストラの影響で落ちたモラルを向上させたい」と講演の相談が来た。
落ちた集団のやる気を取り戻すのは並大抵ではない。特効薬を探しているとのことなので
大きく重たい課題解決の手伝いをすることにしたのは、去年の秋だった。
ビジネスツールとしてすっかり定着した電子メール。
伝達業務のほとんどを処理できて、実に便利な時代になったと思う。
メールの文章は短く、事実を伝える簡素なものに進化する。
その一方で、
人は、『会話』を面倒だと感じるようになったのだろうか・・・
ビジネスの運びは速いほうがいいから、メールで充分だと思うのだろうか・・・
はるか昔、アポロ宇宙船が月面着陸した40年前のことだ。
ラグビー好きのメンバー数人でクラブチームを創部した。
試合を申し込んで、グランドに行くと10人くらいしか集まらず、相手の余った部員を借りて試合をするという、いつ潰れてもおかしくないチームだった。1969年春・神戸で創部したので六甲山の名をとり「六甲クラブ」としたものの、勝利とは縁遠くひどい状態だった。
でも、夢だけは『いつか日本一』と、デカかった。


中嶋光正(なかじま みつまさ)
プラス株式会社
常務取締役
ファニチャーカンパニープレジデント
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